Dr. Johnとマルディグラインディアン

主に日本語でのTwitterFacebookでの投稿ですが、 いろんな人が書いているDr. Johnへの思いを読んでいると、ほとんどの人が出会いは”Dr. John's Gumbo”で、これに衝撃を受け…という流れなのですね(出会うまでのルートや時期は人によるのですが)。実際、彼が商業的にいちばん成功していたのもこのアルバムを出した頃だったみたいです。後はラスト・ワルツで知ったみたいなコメントもいくつか見かけました。

 

別に逆張りとかじゃ全然ないのですが、私がニューオリンズやDr. Johnの音楽に出会ったのはまったく異なるルートだし、初めてこのアルバムを聴いた時は、1曲目のIko Ikoを強烈にかっこいい!と思った以外、実はそんなにピンときませんでした。まあそれ言うならMetersもWild MagnoliasもAllen Toussaintも、最初は「ふ~ん」て感じだったのですが…って、じゃあなんで一体ここまでニューオリンズ音楽にハマっちゃったんでしょうね。なお、ラスト・ワルツはだいぶ経ってから観たので、「わーDr. John 出てる♪ 若〜い!」みたいな安直な感想しかなかったです。

まあそれはいいとして、じゃあ私にとってのDr. Johnて何だったんだろう?と思ってみた時に、やっぱり一番初めに思い浮かんで一番好きなのはMy Indian Redなのでした。

 

 

私の記憶が正しければ、マルディグラインディアンのチャントであるIndian Redを"My Indian Red"としてトラッドジャズにアレンジし初めて演奏・録音したのはDanny Barkerだったはず。Dr. Johnのバージョンは純粋な(?)チャントではなく、一応この流れを汲んだアレンジですが、ていうかDanny Barkerさんご本人も録音参加されてるんですが、曲の後半ではマルディグラインディアンのトライブとチーフの名前が列挙されて、彼らへの敬意が感じられます。通じにくい喩えかもしれませんが、麗蘭の「今夜R&Bを…」のインディアン版という感じでしょうか。そしてこの曲が収録されているアルバム"Goin' Back to New Orleans"のジャケットで、Dr. Johnはインディアンのスーツを着ています。

このアルバムを初めて聴いた時はまだニューオリンズのことをよく知らなかったので特に気に留めてなかったんですが、よく考えたら白人男性がスーツを着た写真がCDのジャケットになるって結構すごいことですよね。もともとマルディグラインディアンは、奴隷生活に耐えかねて逃亡した黒人たちを先住民(ネイティブアメリカン、すなわちインディアン)が匿ったのを機に生まれたと言われています。白人に迫害された者同士の結束という背景があるので、彼らのアイデンティティでもあるスーツを白人が着るなんて、今の時代なら下手すると「人権派」の方々にSNSで叩かれかねないでしょう。

でも少なくとも私の知る限り、「ドクタージョンけしからん!」と言われたなんて話は聞いたことがないし、先週末行われたセカンドラインは元祖黒人居住地区であるトレメで行われてますし(しかも発起人は黒人のKermit Ruffins)、彼が黒人やインディアンコミュニティからも尊敬される存在であったことはおそらく間違いないでしょう。それにWWOZの追悼プログラムを聴いていると、彼は他にもインディアンチャントを結構歌ってるんですよね(私も初めて聴くものが幾つかあった)。インディアンバンドの中で演奏する非黒人は今や珍しくないし(山岸さんを筆頭に、101 Runnersなどはかなり人種混合です)、John "Papa" GrosやAnders Osborne、New Orleans Suspectsなどインディアンと共演している非黒人ミュージシャンも多くいらっしゃいます(話飛ぶけどMonk Boudreaux & Anders Osborneのアルバム"Bury the Hatchet"は超超超名盤なので未聴の方はよかったら是非ぜひ聴いてみてください)。ただ、ここまでインディアンそのものに近い立ち位置で彼らの曲を歌ったり演奏したりしている非黒人のミュージシャンて、実は案外いないんじゃないかなと。ましてスーツ姿の写真が公式に出てる人ってDr. Johnくらいなんじゃないでしょうか(私が知らないだけかもしれないので、他にもいたら是非教えてください)。

…うーん、この辺の話って自伝に出てきたっけ。昔英語で読んだから全然記憶にない…読み返して何か出てきたら追記しようかな。

 

なんにせよ、世の中の音楽的な文脈で見れば、彼はGumboによってニューオリンズの音楽を、Gris GrisなどによってVoodooの世界観を世に広め…と、ニューオリンズの伝道師としていろんな功績があり、ご本人にもその自負はあったと思います。私はあまりそういう俯瞰的な音楽の聴き方をしないので詳しくないですが、そこに疑問や否定の余地はないでしょう。

ただ、私にとってのDr. Johnってどんな人だったのかあらためて考えてみると、一つの大きな側面として、マルディグラインディアン音楽と、ニューオリンズの非黒人(というか白人)ミュージシャンの、大きくて深い接点だったように思います。もっと言うなら、多分ニューオリンズ音楽において人種の壁を取っ払った(というか、黒人サイドから見て文化盗用とか搾取とかじゃなく、純粋な音楽仲間として受け入れられた)初期の1人なんでしょうけど、あくまで「私にとって」と限定すると、やはりインディアンとの関わりが象徴的です。

 

ニューオリンズの音楽は、各地のさまざまな音楽の要素が入り混じっていることから、よく地元郷土料理のガンボ(ごった煮のスープ)に喩えられますが、そもそも黒人奴隷のルーツであるアフリカ音楽と使用者である白人のヨーロッパ音楽、そしてネイティブアメリカンやカリブの音楽などが何故混じり合うことができたのか。黒人奴隷は欧米各地にいたはずなのに、ニューオリンズが何故ここまでユニークになり得たのか(ブラジルもその点特殊な歴史を辿っているようですが、それはまた別の話)。色んな理由や事情があったのでしょうが、当時決して友好的関係のはずがなかった彼らの音楽が混じり合うためには、両者に受け入れられ自由に行き来できた媒介者が必ずいたはずで、Dr. Johnはその1人だったということでしょう。そしてその人が偶々とんでもない音楽の才能を持っていて、そして時代や地理などが味方した部分もあってここまで大きな存在になった(ご本人の努力を否定する意図はないです)。そう考えていくと、Dr. Johnってつくづく稀有で奇跡的な存在だったんだなぁと思います。